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【医師が教える】日本の歴史から学ぶ!現代においての入れ墨とは?

2019.06.26 

刺青除去

 

 

 

入れ墨にはどんな歴史があったのかをご存じですか?

思いのほか古くから取り入れられ、大流行した時代も。

そんな入れ墨の歴史から、現代の入れ墨のあり方を考えてみましょう。

 

 

 

■入れ墨の歴史は風習から始まっている

日本の入れ墨はいつから始まっているのかをご存じですか?

今から約16000年前の新石器時代には、入れ墨が施されていたと考えられています。

北海道や沖縄などでは、女性の手に紋様を入れる習慣があったことも。

古くから各地域にて、風習やお守りとして用いられてきました。

「体に入れる印」から、「美しい絵柄」として鮮やかな入れ墨が彫られるようになったのは、江戸時代のこと。

今のファッションタトゥーに通じる感覚は、この時代の影響があるのでしょう。

 

 

 

■江戸時代に入れ墨は大流行

大工や飛脚のように肌を露出する職業の方々には、着物の代わりに着物の柄のような美しい入れ墨が好まれるようになりました。

鳶職や火消したちも入れ墨を施すようにも。

当時はまだ「入れ墨は暴力団の証」という認識もなかったもの。

命を落としかねない危険な職業は人気も高く、尊敬される存在でもあったため、入れ墨も好意的に受け入れられていました。

遊女たちは通いの客と同じ入れ墨を施し、密かに愛の誓いにしていたという逸話も。

客を通わせるために、複数の男たちに同じ入れ墨を彫らせていたという遊女もいたようです。

いっぽうで「消えない罪人の証」として、刑罰として使用していた背景もありました。

 

 

 

■入れ墨が禁止された明治時代

入れ墨は明治時代には全面廃止されるように。

この時代には、近代国家においてふさわしくない文化と考えられていました。

入れ墨は厳しく取り締まられていたことから、彫師や入れ墨のある人は反社会的と見られるように。

長く続いた入れ墨文化が、途絶えそうな時代でもありました。

そんな規制は戦後の昭和23年には解除され、自由に楽しめるように。

ただし暴力団が積極的に入れ墨を取り入れたことから、反社会的なイメージは消えないまま現代へと受け継がれてきてしまいました。

 

 

入れ墨が盛んだった江戸時代であっても、特定の職種のみが取り入れていたもの。

近年では反社会的な印象が強かったため、入れ墨が一般的に受け入れられるには、まだまだ長い歴史が必要かもしれません。

現代では、入れ墨によって制限がかかる場面はよくあること。

不便さを感じる方は病院にて入れ墨を除去し、時代に合った生き方を選んでみましょう。

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