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【医師が教える】ミイラから発見!入れ墨は古代2500年も前からあった

2019.06.23 

刺青除去

 

 

 

入れ墨とは、いつから始まったものかを知っていますか?江戸時代の鮮やかな入れ墨が発祥?

いえいえ、もっと前から。歴史としてはかなり古く、古代に存在していたと考えられています。

ミイラから発見された入れ墨には、いったいどんな意味があったのでしょうか?

 

 

 

■2500年前には入れ墨があった

アルプスの氷河にて発見された、5300年前のミイラには入れ墨のような印が見つかっています。

また、2500年前の王女の皮膚にも、入れ墨が残されたまま発見されたことも。

5300年前の「アイスマン」と呼ばれるミイラのものは、入れ墨かは判断しにくいもの。

ですが、2500年前のミイラには、背中や脚に入れ墨が彫られていたことがわかっています。

想像するよりもはるか昔から、入れ墨は存在していたということ。

長く古い歴史を持っていることが分かります。

 

 

 

■古代ではなぜ入れ墨を彫っていたのか?

現代のファッションタトゥーとは異なり、魔除けや願いの意味で入れられてきました。

古代人の腕には動物が描かれており、神の化身である動物を彫ることで、お守りのような役目を果たしていたと考えられています。

女性の腕には記号が彫られていたことから、権威ある役職であることを示していたとの見解も。

船乗りや漁師には入れ墨が彫られていたこともあり、これは事故で顔が識別できない状態で見つかったとしても、体の入れ墨で判別することができるというもの。

魔除けだけでなく、個々を判別するために彫られていたとも言われています。

 

 

 

■古代日本にも入れ墨文化がある

日本では「黥面」と呼ばれる、顔に入れ墨を施した記述が魏志倭人伝に残っており、男性はすべて、全身に入れ墨が入れられていたのではと解釈されています。

縄文時代に作られた土偶に紋様が入っていることから、日本ではその頃から入れ墨を入れる文化があったという見方も。

ただ、これは推測であり、縄文人が本当に入れ墨を入れていたかは分かりません。

また、古事記や日本書紀には記述がないことから、入れ墨は日本全国でおこなわれていたわけではなさそうです。

近代になるにつれ、宗教上、体に傷をつけることをよしとせず、上級階級者は入れ墨をしない傾向にも。江戸時代には、前科者の印として使用していたこともあります。

 

 

入れ墨の歴史はとても古く、古代から使用されてきたことがわかっています。

ただし、個々を判別するための印であり、その後の歴史では階級の区別や刑罰の印として使用されることも。

現代でのイメージが良くないのも、こんな歴史が背景にあるからかもしれません。

入れ墨の意味を知り、除去したいと思った方は、医療機関にてどのような方法があるのかを知っておいてください。

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