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【医師が教える】明治時代に生まれた入れ墨の美学とは?

2020.02.10 

刺青除去

 

 

 

入れ墨は日本でも古来より存在していますが、その価値観は明治時代に大きく変わりました。

入れ墨の意味や新たに生まれた美学を知れば、現在の入れ墨のあり方について考えさせられてしまうでしょう。

どのような歴史があり、変化があったのかをご覧ください。

 

 

 

■江戸時代に入れ墨は人気だった?

江戸時代には飛脚や火消し、歌舞伎役者が入れ墨を施していたことから、一部の人々の間で入れ墨人気が高まりました。

ですが、武士階級の間では体に傷をつけることが好まれなかったため、人気は一時的なものにとどまったのです。

さらに前科者の体に入れ墨を施す刑罰も導入されたことから、庶民の間にも入れ墨に悪いイメージがつくように。

明治時代が始まる前にも、徐々に入れ墨に対する意識は変化し始めていました。

 

 

 

■入れ墨を彫ると逮捕される明治時代

江戸幕府が終焉して明治時代が始まると、政府は鎖国を解いて文明国家を目指すようになります。

その際に体に入れ墨を入れた日本国民が海外から来た人々に見られることを問題視し、入れ墨を規制するようになりました。

入れ墨を彫ることは禁止され、隠れて彫った入れ墨は警察によって強引に除去されるように。

沖縄やアイヌのような伝統的な入れ墨さえも、明治時代に途絶えるようになったのです。

 

 

 

■明治時代につくられた入れ墨の美学

明治時代には飛脚や火消しのように着物を着ない職業は廃れ、常に衣服を着ることが当たり前になりました。

入れ墨は衣服の下に隠し、人に見せないようになります。

そのため入れ墨を愛する人々は、「隠してこそ美しく、深みがある」という意識を強めるようになりました。

規制によって隠していたのではなく、自分だけが知る印を持つことに美学を感じていたのでしょう。

江戸時代ではファッションだった入れ墨も、洋服が登場した明治時代ではファッション的な意味合いをなくしてしまいました。

見せるよりも隠すことが好まれ、入れ墨は密かに楽しむものという考え方が浸透するようになったのです。

 

 

明治時代に日本は大きく変わり、入れ墨の価値観も変わりました。

個性やアイデンティティ、ファッション性をいくらでも表現できる現在では、皮膚に入れ墨を施す必要はないのかもしれません。

明治時代の美学に共感した方、わざと見せていることが恥ずかしくなってしまった方は、美容外科にて入れ墨を除去できることを覚えておいてください。

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