2020.04.06
入れ墨がある人の中には、「入れ墨は世間に認められるべき」と激しい論争を始める人もいます。
ですが、どのような立場であってもことごとく論破されてしまうでしょう。
入れ墨がある人が逆に論破することはできるのか?世間の声を参考にしてみてください。
■「海外では入れ墨が普通」を論破
入れ墨のある人が入れ墨を擁護して論破されてしまうのには、さまざまな誤解があるためです。
たとえば「海外では普通のこと」と言いますが、これは国によって異なります。
イギリスでは入れ墨を入れている人は多いものの、一般的な企業での就職は難しく、断る雇用主もいます。
サモアやマオリ族の入れ墨は伝統であり、風習として大切に受け継がれてきた儀式のようなもの。
日本人が入れる入れ墨とは意味が異なるため、同じ価値観で「普通」と断言するのは違うでしょう。
たまたま海外旅行や一時留学で見た入れ墨を普通と感じ、正論と思うのは強引すぎるもの。
簡単に論破されてしまいます。
■入れ墨入園禁止の東京サマーランドが論破
東京サマーランドでは、現在入れ墨がある人の入園を断っています。
以前はトラブルが多く、入れ墨がない人から敬遠される状態にありました。
「なぜ入れ墨があると入れないのか?」という意見に対し、東京サマーランドは下記のように答えています。
「入れ墨を身体に入れる自由があるように、入れ墨の人を断る自由もある」
この答えに論破され、何も言えなくなってしまった方は多いでしょう。
入れ墨を入れる自由を選んだうえに、他の自由も思いのままにしたいと述べるのは正論とはいえないでしょう。
■入れ墨を入れる理由に論破できる正論がない
入れ墨がある人が正論を導きだし、相手を納得させることはできません。
入れ墨を好意的に見る主張は感情論であり、自分の好みを人に押し付けるのはとても難しいことだからです。
気持ちを変えるのは困難なこと。
入れ墨をするかしないかは個人の自由ですが、それを認めて欲しいという感情を論理的に説明することはできないでしょう。
入れ墨のことを認めさせたいという意見を通すことは難しく、逆に論破される機会の方が多いはず。
入れ墨擁護派の意見を論破する正論に納得し、入れ墨除去に踏み切る方もいます。
同じように入れ墨について考え直した際には、美容外科にて除去の相談をしてみましょう。
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